「老子に学ぶ」シリーズ
前回から「老子」を読みながら、そこで学んだ事や思った事や感じた事について書いてます。
今回は 第2章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第2章]
では、早速読み始めてみます。
さてさて、どんな事が書いてあるのでしょうか?
天下、皆美の美為るを知る、斯れ悪なる巳。
皆善の善為るを知る、斯れ不善なる巳。
故に有無相い生じ、難易相い成り、
長短相い形し、高下相い傾き、
音声相い和し、前後相い随う。
是を以て聖人は無為の事に処り、
不言の教えをおこなう。
万物は作りて辞せず、生じて有せず、
為してたのまず、功成りて居らず。
是を以て去らず。
老子 第2章
相変わらず、飲み込みの悪い僕のアタマには入ってきません…
結構、ツラいところです。
こんな意味かな?
世の中では、「美しい」とか「善い」とか言われているモノも、ホントはそうとも限らないよ。
「有る」と「無い」、「難しい」と「易い」、「長い」と「短い」、「高い」と「低い」、「旋律の調和」やら、「前」と「後」…
どれも相手が有って初めて成り立つモノばかり。
だから「聖人」はナチュラルなスタンスをKeepして、「言葉」で決め付けたりはしないよ。
物事全てをありのままに、手を加えないし、何かを作っても所有はしないし、与えても求めないし、成し遂げても、決してそこに胡座をかいたりはしない。
まぁ、そもそも固執もしないから、失う事すらも無いね。
つまり
今回、僕はこの章で…
価値観とかは、立場で変わるモノだから、
あまり「こだわる」のもどうかと思うよ。
ありのままをシンプルに受け入れて、
抱え込むのは出来るだけ少なくしてごらん
…と言う考え方が大切なんだろうなと感じました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。