「老子に学ぶ」シリーズ
「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。
今回は 第77章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第77章]
さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…
天の道は、
其れ猶お弓を張るがごとき与。
高き者は之を抑え、
下き者は之を挙ぐ。
余り有る者は之を損し、
足らざる者は之を補う。
天の道は、
余り有るを損して足らざるを補う。
人の道は則ち然らず、
足らざるを損して以て余り有るに奉ず。
たれか能く余り有りて以て天下に奉ずるや。
唯だ道有る者のみ。
是を以て聖人は、
為して恃まず、
功成りて処らず、
其れ賢を見わすを欲ほっせず。
老子 第77章
これまた、なかなかの難解ぶりです。。。
こんな意味かな…
自然の道は「弓を引く」のに似ているね。
上の高いところは押し下げられて、
下の低いところは引き上げられるよ。
余っていたら減らされて、
足りなければ補われるよ。
自然の道は余っているモノを減らして、
足りないモノを補うんだね。
それに比べて人のやり方は、
足りないほうを減らして、
余っているほうを増やそうとするよね。
余りすぎてるモノを
人々の為に奉仕できる人は居るのかな?
「道」をマスターした人だけがそれをやれるんだよね。
そういうワケで、
聖人はそれをするけど、
誰れがしているのか判らないようにやるし、
成功しても、名声を求めないんだよね。
そもそも
他人よりも優れていることを
見せびかすような事をしないからね。
つまり
今回、僕はこの章で…
ガメツくしても
良いこと無い
…と言う事が大切だな、
と感じました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。