「老子に学ぶ」シリーズ
「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。
今回は 第66章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第66章]
さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…
江海の能く百谷の王為る所以の者は、
其の善く之に下るを以て、
故に能く百谷ひゃっこくの王為り。
是を以て聖人は、
民に上たらんと欲せば、
必ず言を以て之に下り、
民に先んぜんと欲せば、
必ず身を以て之に後る。
是を以て聖人は、
上に処りて而も民重しとせず、
前に処りて而も民害とせず。
是を以て天下推すを楽しみて而も厭わず。
其の争わざるを以て、
故に天下能く之と争う莫し。
老子 第66章
これまた、
チョッとアレですね。。。
こんな意味かな…
大河や海が沢山有る河川の王者である理由は、
それらが他の河川よりも低い地位にあるからだよ。
だから王者なんだよね。
そういうワケで、
人々の指導者になりたいなら、
まず、人々の前で「つつましく」しないとダメだね。
人々の先頭に立とうと望むなら、
まず、自分の事を後回しにしないとダメだね。
そうすれば、
彼が高い地位にいても、
人々は彼のプレッシャーを感じないし、
人々の前にいても、
人々は何も障害を感じる事がないよ。
だから、皆は彼を支持し、いやがらないんだ。
そもそも彼は、誰とも争わないから、
皆は彼と争うことすら出来ないんだよね。
つまり
今回、僕はこの章で…
エラそうにしちゃ
ダメだよ
…と言う事だな、
と感じました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。