「老子に学ぶ」シリーズ
「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。
今回は 第56章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第56章]
さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…
知る者は言わず、
言う者は知らず。
其の兌を塞ぎ、
其の門を閉ざし、
其の鋭を挫き、
其の紛を解き、
其の光を和らげ、
其の塵に同ず。
是れを玄同と謂う。
故に得て親しむ可からず、
亦た得て疏んず可からず。
得て利す可からず、
亦た得て害す可からず。
得て貴ぶ可からず、
亦た得て賤しむ可からず。
故に天下の貴きと為る。
老子 第56章
あれ?これ、
ちょっと難解ですね。。。
こんな意味かな…
よく知っている人は、あまりしゃべらないよ。
よくしゃべるのは、あまり知らない人だね。
本当によく知っている人は、
目や耳とかの「感覚の門」を閉じて、
知恵の鋭さを弱めて、
その「もつれ」を解きほぐして、
その知恵の光を和らげて、
世の中の人々と同化するんだよね。
これを「玄同」っていうよ。
だから世の中の人々は、
それに近づくことも
遠ざけることもできないんだ。
それに利益を与えることも
害を及ぼすこともできないね。
尊敬することも
辱めることもできないよ。
だからこそ、
天下で最も貴い存在になるんだね。
つまり
今回、僕はこの章で…
出しゃばって
口を出して居る様では、
まだまだ
…と言うだな、と感じました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。