ココロにチカラを

てらさん (Terra-Sun) の 余計なお世話

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【老子 第55章】「徳を含むことの厚き者は」

「老子に学ぶ」シリーズ

「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。

今回は 第55章です。

 ※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。

そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※

 

Start [老子 第55章]

さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…

 

徳を含むことの厚き者は、

赤子に比ぶ。

蜂蠆虺蛇も螫さず、

猛獣も拠えず、

攫鳥も搏たず。

骨弱く筋柔らかくして握ること固し。

未だ牝牡の合を知らずして而も全作つは、

精の至りなり。

終日号いて而も嗄れざるは、

和の至りなり。

和を知るを常と曰い、

常を知るを明と曰う。

生を益すを祥と曰い、

心、気を使うを強と曰う。

物は壮ならば則ち老ゆ、

之れを不道と謂う。

不道は早く已む。

 

老子 第55章


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これは、意外と

読みやすいかも知れませんね。。。

 

こんな意味かな…

「徳」を豊かに秘めている人は

無知無欲の赤ちゃんに例えられるね。

毒虫にも刺されないし、

猛獣にも襲われないし、

猛禽にも攻撃されない。

赤ちゃんの骨は弱くて筋肉も柔らかいけど、

拳はしっかりと握っているよね。

赤ちゃんは男女の交わりも知らないのに、

性器は何時も立っているのは、

「精気」が満ち溢れているからだよ。

赤ちゃんが一日中泣き叫んでも声がかれないのは、

「和気」が満ち溢れているからだよ。

「和」は平常心をもたらして、

平常心を知る事を「明知」というんだ。

生に執着する事を「わざわい」と言って、

欲のココロが気持ちを奮い立たせる事を

「頑張り」って言うんだよね。

物事は勢いが盛んになると

必ず衰退に向かうから、

「わざわい」とか「頑張り」は

「道」にかなっていないんだよ。

「道」にかなっていないと

早く滅びちゃうんだよね。 

 

つまり

今回、僕はこの章で…

 

ナチュラルさと

平常心が大切

 

…と言う事だな、と感じました。

 

 

 

最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。