「老子に学ぶ」シリーズ
「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。
今回は 第50章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第50章]
さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…
生を出でて、死に入る。
生の徒、十に三有り。
死の徒、十に三有り。
人の生きて、
動きて死地に之く、
亦た十に三有り。
夫れ何の故ぞ。
其の生を生とするの厚きを以てなり。
蓋し聞く、
善く生を摂う者は、
陸を行きて兕虎に遇わず、
軍に入りて甲兵を被らず。
兕も其の角を投ずる所無く、
虎も其の爪を措く所無く、
兵も其の刃を容るる所なし、と。
夫れ何の故ぞ。
其の死地無きを以てなり。
老子 第50章
おっと、チョット油断すると
何時もの難解ぶりですね。。。
こんな意味かな…
人は生まれたら必ず死に向かうんだ。
長生きする人が十分の三、
早死にする人も十分の三、居るんだよ。
生きようとして、
下手に動いて死ぬ人も十分の三、居るんだよ。
これは何故かっていうと、
生きる事への執着があまりにも強いからなんだよ。
聞くところによると…
『上手く命を守る人は
陸地を歩いても犀や虎に会わず、
戦場でも殺される事はない。
その人には
犀も角を使えず、
虎も爪を使えず、
敵兵は武器を使えない。』
って言うらしいんだ。
これは何故かっていうと、
その人が生に執着しなくて、
死の境地に入る事が
無いからなんだよね。
つまり
今回、僕はこの章で…
「執着は逆効果」
…と言う事かな、
と感じました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。