「老子に学ぶ」シリーズ
ここ最近は「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。
今回は 第11章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第11章]
さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…
三十の輻、一轂を共にす。
其の無に当たりて、車の用有り。
埴を埏ねて以て器を為る。
その無に当たりて、器の用有り。
戸牖を鑿がちて以て室を為る。
其の無に当たりて、室の用あり。
故に有の以て利を為すは、
無のもって用を為せばなり。
老子 第11章
ふむふむ、相変わらず難解ですね。
こんな意味かな…
30本のスポークとハブが一つになってる。
その中心にある「空っぽ」の穴にこそ、車としての働きが生まれる。
粘土をコネて器をつくる。
その「空っぽ 」の窪みにこそ、器としての働きが生まれる。
戸や窓を組み合わせて部屋をつくる。
その「空っぽ」の空間にこそ、住まいとしての働きが生まれる。
だから、形があるものに意味をもたらすのは、「空っぽ」の部分が機能するからなんだよ。
つまり
今回、僕はこの章で…
本当の意味や目的は、
目に見えないトコロにある
…と言う考え方が有るんだな、と感じました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。