ココロにチカラを

てらさん (Terra-Sun) の 余計なお世話

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【老子 第52章】「天下に始め有り」

「老子に学ぶ」シリーズ

「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。

今回は 第52章です。

  ※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。

そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※

 

Start [老子 第52章]

さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…

 

天下に始め有り、

以て天下の母と為なす。

既に其の母を得て、

以て其の子を知る。

既に其の子を知りて、

復た其の母を守らば、

身を没するまで殆からず。

其の兌を塞ぎ、

其の門を閉ざさば、

身を終うるまで勤れず。

其の兌を開き、

其の事を済さば、

身を終うるまで救われず。

小を見るを明と曰い、

柔を守るを強と曰う。

其の光を用いて、

其の明に復帰せば、

身の殃を遺す無し。

是れを習常と謂う。

 

老子 第52章

 
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ふむ、

これまた少し長めですね。。。

 

こんな意味かな…

世の中には始まりがあって、

それをこの世の根本とするよ。

この世の根本である母(道)を認識できれば、

その子(世の中)も認識できるよ。

世の中を認識したのなら、

さらにその根本をしっかりと守らなくちやね。

そうすれば一生危険は無いよ。

知識や欲望の元が入ってくる

耳、目、鼻、口などの穴を塞いで

ココロの門を閉ざせば、

一生、疲れる事は無いよ。

穴を開いて、

知識、欲望の元が入るままに任せて居たら、

一生、癒される事は無いよ。

小さな兆しを観察できる事を

「明」と呼んで、

柔軟さをKeepする事を

「強」というんだよ。

知恵の「光」を働かせて、

「明」に立ち戻れば、

災いが降りかかる事は無いよ。

この事を「習常」っていうんだよね。

 

 

つまり

今回、僕はこの章で…

 

 「基本が大事」

 

…と言う事だな、

と感じました。

 

 

 

最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。