「老子に学ぶ」シリーズ
ここ最近は「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。
今回は 第10章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第10章]
さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…
栄魄を載せ抱一させ、
能く離すこと無からん乎。
気を専らにし柔を致して、
能く嬰児たらん乎。
玄覧を滌除して、
能く疵無からん乎。
民を愛し国を治めて、
能く知を以てすること無からん乎。
天門の開闔して、
能く雌為らん乎。
明白に四達して、
能く知を以てすること無からん乎。
之を生じ之を畜い、
生じて有せず、為して恃まず、
長じて宰せず。
是れを玄徳と謂う。
老子 第10章
ふむふむ、相変わらず難解ですね。
こんな意味かな…
ココロとカラダはバラバラになってない?
気持ちを集中しながらも、赤ちゃんみたいに柔軟に保ってる?
モヤっとした気持ちを振り払って、ココロが傷付かないようにしてる?
人々を愛して国を治めるのを、知恵に頼らずに出来てる?
目や耳で感じる時に、穏やかな女性のように振る舞えてる?
色々な事をしっかりと理解していても、知恵に頼らず居られる?
様々なモノを、生み育てても手放して、与えても求めないで、成長させても支配はしない。
コレを、深い「徳」というんだよ。
つまり
今回、僕はこの章で…
ピュアに感じ取り、
頭ではなくココロで捉え、
見返りを求めないようにしなさいよ
…と言う考え方が大切なんだと感じました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。