「老子に学ぶ」シリーズ
ここ最近は「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。
今回は 第8章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第8章]
さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…
上善は水の若し。
水は善く万物を利して争わず、
衆人の悪む所に処る、
故に道に幾し。
居は地を善しとし、心は淵を善しとし、
与るは仁を善しとし、言は信を善しとし、
正は治を善しとし、事は能を善しとし、
動は時を善しとす。
夫れ唯だ争わず、故に尤無し。
老子 第8章
うぅーん、相変わらず難解ですね。
こんな意味かな?
上質な「善」は、水みたいなんだよ。
水は色々なモノに恵みを与えるけど、争う事は無いし、
皆が嫌がるような低い位置に溜まるよね。
だから「道」によく似てる。
低い所に身を置いて、
静かに深くココロ持って、
思いやりを以て人と付き合い、
本当の言葉を大事にして、
作為的な政治をしないで、
成り行きに任せて、
タイミング良く動くと良いね。
争うことをしないから、咎められる事も無いよ。
つまり
今回、僕はこの章で…
流れに逆らわず自然体でやってれば、
水みたいに、皆の役にたつよ
…と言う考え方が大切だと感じました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。