「老子に学ぶ」シリーズ
ここ最近は「老子」を読みながら、そこで学んだ事や思った事について書いてます。
今回は 第4章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第4章]
さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…
道は沖にして之を用うるに或いは盈たず。
淵として万物の宗ににたり。
其の鋭を挫き、其の紛を解き、
其の光を和らげ、其の塵に同ず。
湛として或いは存するに似たり。
吾れ、其の誰の子なるかを知らず、
帝の先に象たり。
老子 第4章
うぅーん、相変わらず難解な言葉遣いですね。
こんな意味かな?
「道」は、カラの器みたいだけれど、使う時に溢れるような事は無いよ。
「淵」の様に深くて、総ての物事の根源のようにも見えるね。
知恵の、「煩わしさ」や「明晰さ」とかを弱めて、我々と一体化するよ。
深く静かに存在しているようにも見えるね。
僕等は、それが何から生まれたのかは知らない。
何か神的なモノの起源のようにも思えるね。
つまり
今回、僕はこの章で…
…ごめんなさい、わかりません。
「道」って言うのは
こんな感じのモノだよ、
という概念を説明している章
…だと言うことで処理させて下さい。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。