「老子に学ぶ」シリーズ
「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。
今回は 第53章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第53章]
さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…
使し我れ介然として知有らば、
大道を行きて、
唯だ施を是れ畏る。
大道は甚だ夷なるも、
而れども民は径を好む。
朝は甚だ除れ、
田は甚だ蕪れ、
倉は甚だ虚しきに、
文綵を服し、
利剣を帯び、
飲食に厭き、
財貨余り有り。
是れを盗夸と謂う。
道に非ざる哉。
老子 第53章
まあまあの難解ぶりですかね。。。
こんな意味かな…
もし僕にちゃんとした知恵があるなら、
大きな「道」を歩いて、
脇道に入り込まないようにだけ気を付けるよ。
大きな道は平らなのに、
人々は脇道を選びたがるよね。
宮殿が汚職にまみれると、
田畑は荒れ放題、
町の人たちの倉庫は空っぽなのに、
貴族たちは美しい着物を着て、
立派な剣を持ってる。
おいしい食べ物にも飽き、
有り余る財産を保有する。
コレじゃぁまるで、
盗人の親玉だし、
「非道」だよね。
つまり
今回、僕はこの章で…
脇でアレコレ
小細工しても
良いこと無い
…と言う事かな、
と感じました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。